イギリスの歴史と祝祭

日本語で「イギリス」と呼んでいる国の正式名称は、「グレートブリテン・北アイルランド連合王国」であり、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つの地域から成り立っています。現在のイギリスで大多数を占めているアングロサクソン系の人々の祖先は、大ブリテン島に元から暮らしていた民族ではない。彼らは、紀元後5~7世紀頃に、ヨーロッパ大陸から移住してきたよそ者であり、その前に暮らしていたのは、ピクト人とブリトン人というケルト民族であった。アングロサクソン人が大陸から侵入してきたときに、ケルト人たちは、北部のスコットランドや西部のウェールズへ逃れて行った。

イギリスは、キリスト教国であり。キリスト教の歴によれば、年中毎日何らかの聖者の祝日となっているが、祝祭のなかには、キリスト教以前の古代の異教の儀式から始まったと思われるものも多い。たとえば、、ケルトの残照文化と考えられるハロウィンやメーデーなどの祝祭があげられる。特に聖霊の復活の日とされるハロウィンでは、イギリスでは廃れたが、アメリカ移民によって、継承されて、近年、イギリスへが逆輸入されて復活するという遍歴をたどっている。

また、夏至祭も、ほんらいは太陽信仰に基づく異教の祭りであり、キリスト教がそれを取り入れてからは、聖ヨハネの生誕の祝日となった。毎年、夏至前夜には、イングランド南部のソールズベリーにある先史時代に造られたと考えられるストーンヘンジに、各地から大勢集まってきて、右の祭壇の上に太陽が昇るのを見る。日本でもお馴染みのヴァレンタインデーは、殉教した聖人の名にちなんでいるが、起源は古代ローマの豊穣信仰にさかのぼるとされている。

597年は、イギリスの祝祭にとっての重要な年である。このとき、ローマ教皇の命により、聖アウグスチヌスがイギリスにキリスト教を伝道した。教会はこれまで存在していた異教の慣習にキリスト教的な意味を与え、排除しない政策をとった。その後、9世紀ごろからは、デーン人がイングランドを頻繁に襲い、11世紀には一時、彼らに支配された。さらに1066年には、イングランドはノルマン人により征服されてた。このようにイギリスは何度も外的に侵略されたが、各地域で行われていた祝祭はそれぞれの地域で発展を続けた。さまざまな政治的混乱のなかでも民族的安定があったためだろう。

したがって、現在残っている祝祭日は、何らかの形でキリスト教とかかわっているものがほとんどであるが、時代の変遷とともに変容しつつ、ときには、衰退したり、、また復活をしたりしながら今にいたっている。とくに16~17世紀初期の宗教改革の時代には、ローマ教皇を最高権威とするカトリックのほとんどの祝祭は迷信的で堕落したものであるとして、清教徒やプロテスタントによって禁止された。1644年には、法定によりメーデーやクリスマスを祝うことまで廃止されてしまった。しかし、1660年の王政復古によって、かつての慣習の多くがイギリスにもどってきた。それでも、清教徒の伝統は継承され、やがて18世紀になると、イギリスの経済発展に欠かせない勤勉さが重要視される時代がくる。それにともなって、民衆の祭りや娯楽が統制されるようになった。

さらに産業革命によって、工業化が進むと、農村文化はますます衰退し、農業の季節による祭りの習俗が、増大する都会の労働者にはあまり関係のないものになっていった。ヴィクトリア朝になり体裁を重んじる風潮が強まると、荒っぽい行事は、好まれなくなり、都会では粗野な習俗は排除して洗練されたものを求めるようになった。こうして、資本主義に適合すべく祭りの文化は再編成されていく。ヴァレンタイン・カードやクリスマス・カードが商業化され、クリスマス・ツリーが外国からイギリスに導入されたのもこの時代である。第一次世界大戦のころは、戦時体制の強化によって、18世紀に存在した娯楽としての祭りの多くが行われなくなったが、それでも地方には、昔ながらの習慣や祭りが残存した。

 

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