ドイツの祝祭と国民性

ドイツは良く知られているように、19世紀にようやく統一されたが、それまで多くの領邦国家が分立していた。このようなドイツの地方分権的な政治体制は、郷土愛の精神を育み、人と人との強い結びつきを維持してきた。これが祝祭祭りの行事にも大きな影響を及ぼし、ドイツでは、郷土豊かな祭りの伝統が近年まで残っていた。

ヨーロッパ諸国の祝祭祭りと同様に、ドイツにも大別すると、宗教祭、民族祭、娯楽祭、記念祭などがある。宗教祭はいうまでもなく、クリスマス、カーニヴァル、復活祭などキリスト教歴に基づく、一連の祭り祝祭やキルメス(教会のお祭り)であるが、さらにそれとかぶさるように、古代ゲルマンの習俗をルーツにした5月祭、秋の収穫祭などの土着の農耕儀礼祭や年の市がある。また、祭りの娯楽的な特徴を残すものとして、襲撃祭、競馬祭など競争にまつわるものが、郷土色豊かに祝われる。

次に記念祭としては、歴史祝祭祭り、バイエルンの皇太子の結婚祝いに起源をもつオクトーバーフェスト、ワーグナー楽劇を上演するバイロイト音楽祭などが有名である。また、1990年のドイツ再統一を祝う統一記念日は、いつまでもなく、最近制定された新しい祭りである。

真面目で、お堅いと言われるドイツ人であるが、彼らは、意外と祭り好きである。歴史的に古い祭りは、多くの場合、冬場と春に集中していることがわかる。それは、ドイツ人が暗くて陰鬱な長い冬を祭りによって、発散し、春の到来を喜び合ったという、北国特有の生活の中から、育まれてきたものと言えよう。

さて、ドイツの冬の祭りに不可欠のものとしてロウソクがある。陰鬱な冬を迎え、ドイツの人々は孤独、メランコリー、内省的な気分に陥りやすくなるが、その雰囲気の中で、ロウソクのともしびが彼らの心の中に染み渡る。ドイツ人がとりわけロウソクの醸し出すほのかな明かりを好み、それに敬虔な祈りをささげてきたのは、光の中に生命の根源や神の救済を見出そうとしてからである。

したがって、聖マルティン祭、聖ルチア祭、クリスマス、聖母マリアのお清めの日などでは、人々は祭壇にロウソクをともし、かつ提灯行列などをおこなう。特に、暗闇の練り歩きは、人々を祭りの世界へいざない、おごそかな宗教的雰囲気を醸し出す役割を果たす。まさにこのような北国ドイツの祭りは、光と闇のコントラストによって、幻想的に演出されてるのである。

ところで、祭りと密接にかかわる国民性については、ドイツ南北で多きな差が認められる。北ドイツには、プロテスタント信者が多く、真面目で、秩序を重んじ、羽目をはずすことを好まぬ内省的な人々が沢山いる。それに対し、南ドイツは、カトリック信者が多数派で、国民性も陽気で明るいという、北と対照的な特徴が見受けられる。そのため南ドイツ地域には、昔から北よりもたくさんの祭りが催され、ここに古い伝統が多く継承されている。

この北方と南方の国民性の両極をたくみに捉え、祭りを政治的に利用したのは、あのナチスであった。ヒトラーが旗揚げしたのは、ミュンヘンのホーフブロイハルスのビアホールだが、ミュンヘンを拠点にしたナチスは、保守的な政治風土と祭り好きの陽気なバイエルン人気質を利用しながらの勢力を拡大し、ドイツ全土へシンパを増やしていった。

ナチスは、党大会や各種の祝祭行事、ベルリンでのたいまつ行進、ベルリン・オリンピックなどを企画することによって、ドイツ人の好む整然とした秩序を基調にしながらも、熱狂的な祭りの世界へと人々を扇動していった。ここからも理解できるように、ヒトラーは、ドイツ人の秩序を重じる風潮と、祭り好きの国民性を巧妙に一体化させ、人々に一種の陶酔を生み出すよう演出したと言える。ヒトラーほど、ドイツ国民性の本質を本能的に把握し、それを利用したアジテーターはいないのではなかろうか。その結果、ドイツ国民は、集団妄想にかけられたように、破滅への道を突き進んでいったのである。

 

 

 

 

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