フランスの祝祭

フランスの祝祭と歴史

国民の約8割がカトリック教徒を占めるフランスは、しばしば「カトリックの長女」と言われる。それだけにこの国の祝日や祝祭も宗教的儀式にその起源をもつことがほとんどで、そうでないものでも長い歴史のなかでキリスト教の習俗に取り込まれ、次第に同化されてきたものが多い。クリスマスやカーニヴァルもその起源はともかく、キリスト教の教義にあわせて解釈しなおされ、キリスト教文化の伝統として定着し、今に生き延びているものである。

フランスは、ドイツやイタリアに接しながら、これらの国と大きく異なるいくつかの歴史的背景を持つ。一つは、中央集権の確立が早く、かつ強固であったことであり、ドイツやイタリアが近代国家として統一されたのは、19世紀も半ばになってからであり、この遅れが逆にさまざまな地方性を残す結果となった。これに対して、すでに17世紀にはブルボン朝による絶対王政を築き上げていたフランスでは、強力な中央集権体制を背景に、なによりも「普遍性」を徹底化させる方向に動いた。その結果、地方色は希薄になり。何をつけても、パリが基準とされるようになる。言葉のみならず、祭儀や習俗においても隣国に比べて地方差がすくないのは、こうした歴史的経緯によるところが大きい。

第二に、その後のヨーロッパの歴史を変える契機となった「大革命」を経験し、「旧体制」を崩壊させることによって、それまで体制を背後から支えていたキリスト教文化を一時的にであれ、否定したことである。このことは、中世以来、キリスト教文化のなかで、培われてきた習俗や伝統にも大きな影響を与えた。もちろん、急激な変化のあとには反動がくる。ナポレオン体制を経て、王政は復活し、キリスト教は蘇り、革命以前の宗教的伝統も多くは復活した。とは言っても、革命が宗教儀礼に根差したそれまでの祭りの伝統と著しく弱体化させたことは否定できない。

逆に、革命は、キリスト教の祭りに代わるいくつかの政治的祭典を作り出した。そのもっとも大がかりなものが、「パリ祭」の原型となったものである。日本では、通常「パリ祭」と言い習わされているこの革命祭は、フランス語では、そっけなく、「7月14日」と呼ばれる。この祭典が正式に今日のような国家の祭典となるのは、革命後約1世紀を得てのことであり、そこにいたるまでにはさまざまな紆余曲折があった。政治的祭りが、宗教的祭りや民衆の祭り以上にその時々の体制に左右されやすいには当然だが、歴史を通じて中央集権的な心性を醸成してきたフランスは、祭りや儀礼の政治的意味を敏感に察知し、早くから、それを巧みに利用してきた国といえるだろう。かのヴェルサイユ宮殿を王の祝祭空間に変えたルイ14世にその例をみることができるし。なによりも、今日の「7月14日」光景はそのことを良く物語っている。