ロシアの祝祭

ロシアの祝祭

西欧では、キリスト教の受容にともない、土着宗教、あるいは、異教の習慣や儀礼は、たちまちカトリックの祝祭に取り込まれていった。東方正教を中心としたロシアでも多かれ少なかれ、似たような状況が生じた。それに加え、ソビエト政権は宗教を弾圧し、因習を否定した。その一環として、共産党はキリスト教の祭日をほぼ、毎週の記念日(炭坑の日、戦車兵の日、教員の日)で置き換えた。かつて教会が異教に対してとった方法である。さらに党は、「赤い祭り」を組織し、レーニンの誕生日を祝い、メーデーを大々的に展開した。こうして、伝統的な祭りの起源や儀礼の意味はますます霧のかなたへ忘れ去られてゆき、休日はウォッカの日々となっていく。

ロシアは祭日の多い国である。帝政ロシア時代には、キリスト教関連の祭日に「皇帝の日」などの世俗的な祝日が加わり、祝祭日が年間の50日を超える地方もあったという。キリスト教関連の祭日だけで30日ほどになる。祭りの種類によっては、期間も長く、仕事に影響が及んでも不思議はないものもある。事実、ソビエト時代には伝統的祭りの打倒を叫ぶスローガンが掲げられた。「集団化にブレーキをかける」祭りの有害さが説かれ、「失われた驚くべき労働日数」が指摘され、教会関連の祭りは、「反動的」だとやり玉に挙げられた。

こうした批判もある。農民は祭りとなると正体をなくすまで酔いつぶれ、2日の祭りは実質3日の休業となったという。村のお祭り騒ぎには、ウォッカが欠かせなかった。

しかしながら、次々と変わる祝祭日を後目に、酒すなわちウォッカだけは、不偏不党の真理を貫いているとみることもできる。ウォッカなくして祭りなし。ロシア人にとっては、ウォッカは「世界を10月革命で100回ゆさぶろうと」びくともしない最高の気晴らしである。このことは建国のあらましにもある。日本の古事記にあたる「原書年代記」をひもとけば、キエフ・ロシアのウラジミール大公が「ルーシの民は酒なしでは済まされない」といって、ユダヤ教をしりぞけ、キリスト教を国教としたとなる。祭り火酒ウォッカの関係は、宿命である。この宿命は、文化的にも十分根拠がある。