イギリス

スコットランドのイギリス分離独立住民投票が行われた文化や歴史の背景とは?

今、話題になっているスコットランドは、まさにケルト民族が住み着いてきた地域であり、今回のイギリスの独立分離の住民投票が2014年9月18日に行われた。その投票率は、98%で過去最高になり、428万人が投票した。その結果、反対派が50パーセントを上回り独立が否決されることになったが、今回で、よりスコットランドにかつてからある問題意識が表面化されたものであった。スコットランドの独立賛成派を率いるサモンド党首は、イギリスに残留してもスコットランドの権限が拡大されることを期待している。

そもそもスコットランドが独立を望む背景には、経済的な利権や歴史や文化などの要因が複雑に絡まっているもので、経済的な視点だけでなく、文化的な歴史を知らずして、この問題を全体的に知ることはできない。そこには、アングロサクソン民族とケルト民族の対立の文化・歴史がある。また、北アイルランドでは、カトリック教徒とプロテスタント教との対立の歴史がある。

実際には、日本人がおもっているような民族がまとまった1つの国とは、イメージが程遠いものである。現地の人にとっては、スコットランド地域とイングランド地域は、全く異質であり、文化も言語も全く違っていた歴史がある。スコットランド人やウェールズ人は、
イングリッシュと呼ばれることを非常に嫌う。明確なアイデンティティーの違いがあるのである。

我々が一般的に認識している「イギリス」の国の正式名称は、「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」」であり、イングランドというのは、その1地域にしか過ぎない。イングランド地域の住人をイングリッシュと呼び、その訳語がイギリス人である。本来ならば、スコットランド人やアイルランド人を含めるのであれば、「ブリティッシュ」英国人である必要がある。

ではどうして、イギリス人とスコットランド人との間に、分離が起きて、確執が生じたのだろうか?それは、そもそも文化も言語も全く違っているからで、お互いを外国人と思えると行ってもいいぐらいなのである。
「イギリス人」の歴史やルーツとしては、彼らは、アングロサクソンと呼ばれ、5世紀ごろから、数次にわたって、ヨーロッパ大陸北部から渡来してきた人たちの子孫であり、低地ドイツ語から派生したサクソン語を話し、このサクソン語に、ラテン語のノルマン・フレンチが混ざって、1106年に現在のフランス西北部からノルマン人が侵攻してきて征服王朝を立てたのだが、その時、英語が完成されたのである。

これに対して、「スコットランド人」「ウェールズ人」の大半と「アイルランド人」は、紀元前7世紀に渡米したとされるケルト民族の子孫である。つまり、紀元前からケルト人の土地であったブリテン島に、5世紀になって、アングロサクソン族が侵攻してきて、西武の中心地、すなわちイングランドを征服してしまったので、やむを得ず、ケルト人たちは、西部のウェールズやイングランドの北部辺境に追いやられてしまったという歴史がある。これは、ケルト民族人にとっては、イギリス人はケルト民族の土地を奪った、侵略者とも言えるのである。日本でわかりやすい例として、アイヌモシリと呼ばれていた土地に、南方から倭人が渡ってきて「北海道」にしてしまったようなものである。

ブリテン島においては、アングロサクソンの支配的立場が確立し、その民族的特徴が白い肌、長身、青い目というのが「イギリス人」の典型的なイメージであり、「ケルト民族」の特徴と言えば、アングロサクソンよりも小柄で、髪や目の色が濃いとされている。

ケルトの原点としては、1神教ではなく、森には妖精が住み、動物には、みな霊が宿り、生命の転生を繰り返すと信じられていた。原始仏教のようであり、日本古来の宗教感と似ている。宮崎駿の「もののけ姫」の世界がまるでケルト民族の原点を表現しているように見える。文字を持たない文化だったため、謎が多いが、ヨーロッパ全土に大きく影響をあたえているのは間違いがない。

イギリスの消える祝祭と残る祝祭

イギリスでも伝統的な祝祭の多くは廃れていく傾向gあるが、その際に「消える祝祭と残る祝祭」を概観すると、ある一定の傾向が認められる。たとえば、田舎や地方の祝祭のなかで、盛んに行われていたキツネ狩りや野兎狩りは、現在から見ると血なまぐさいゲームなので、特に都市部に住む人々から残酷であると非難され、ほとんどは超滅しつつある。また、ランカシャの黒騎士祭りは、15世紀に悪行を重ねたアッシュントン卿を罵倒するための祝祭とされているが、今日に見立てた人形が馬から引きずりおろされ、いしや泥を投げつけられ、バラバラになるまで銃で何度も撃たれるという残酷なものだった。したがって、これも現在では、もはや過去の祭りとなっている。

ところが、長い歴史を誇るイギリスには、伝統を大切に継承する側面があり、たとえば、「ダンモウのベーコン賞」という微笑ましい祝祭は、600年の歴史を持ち、現在も続いている。

その例をあげる。うるう年の6月には、エセックス州のダンモウで仲がよいことを証明できた夫婦に、ベーコンを与える審判の行事が今も開かれている。最初のベーコンは、1445年に授与されたという記録があるが、14世紀の作家ウィリアム・ラングランドやジェフリー・チョーサーもこの審判に言及していることから、もっと前から続いていた行事であることが分かる。元来、この祝祭のルーツは結婚してから1年と1日の間に、いちども結婚を後悔しなかった夫がダンモウの修道院に行って、ベーコン一切れを要求するというものであった。

夫は、小修道院長、修道士、地元の人々の前で2つの鋭い石の上にひざまずいて宣誓した上、証言をしなければいけない。この要求が認められると、修道士や村の人々に担がれて村中を練り歩く。その後、ベーコンが授与され家に送り届けられた。宗教改革でいったん中断したが、18世紀に入って、復活をした、このときには、夫だけでなく、夫婦2人にベーコンが送られた。なお陪審員には5人の未婚女性がじぇらばれて、判定を行っていたが、やがて、独身の男女6人ずつが陪審員に招かれるようになった。今では、裁判官、夫婦の弁護人、陪審員、証人からなる法廷のような裁判のような形うぃを取り、観客も傍聴人として野次を楽しむ行事となっている。

このようにいまでも地方には、昔ながらの様々な祝祭が受け継がれているし、本来の祝祭の意味や精神は忘れ去られても、日常的にな行事のなかにその名残りがとくに食文化の習慣となって生き続けている。たとえば、クリスマスには、ごちそうを、聖金曜日には、菓子パンのホット・クロス・パンを、懺悔の火曜日には、パンケーキを、そして、復活祭には卵をかたどったチョコレートを食べる。

場所によっては、懺悔の火曜日のパンケーキはたべるだけでは、済まない。祭日を楽しむためにいろいろなゲームや娯楽も考え出された。女性がフライパンに入った焼き立てのパンケーキをひっくり返しながら走るパンケーキ競争が開かれる。また、丘の上から転がる大きなチーズを追いかけて、奪い合う年中行事もあるが、ルールらしいものがほとんどなく、何百人でも参加でき、挙句の果てには、乱闘騒ぎになる。こういったゲームは、地方では、今なお、人々の間でたのしまれ、テレビで報道するのに、恰好の話題を提供している。