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失われつつあるドイツの祝祭の伝統

伝統的な祭りは、現在、一方では大々的に観光化されたものもありますが、多くは軽視されて、次第に消滅していく傾向にあります。地方分権の残っているドイツでは、フランス、イギリスなどに比べると、祭りはある程度継承されているとはいえ、時代の流れは、如何としがたく、もう過去のものになった祭りも数多くあります。

しかしながら、祝祭や習俗は、民族の文化遺産として、昔の形をとどめておくことが大切です。ここでは、その意味から、すでに過去のものとされ、またそうなりつつある若者たちの祭りの習俗についても、簡単にふれておきたいと思います。とりわけ若者たちの習俗は、結婚にかかわるものが多いのです。

かつての、祭りは若者と娘の出会いの日であったし、また想いを伝えるきっかけの日でもありました。たとえば、聖ヨハネ祭などに、好きな娘の家の木の枝を飾るしきたりは、ドイツ各地に伝播していきました。また、聖アンドレース祭(11月30日)では、未婚の娘が左の上履きを肩越しに後ろのドアに向かって投げ、その先端がドアにあたると「「今年中に結婚できる」と信じされていたのです。結婚式の日に、ケーキのなかに金の結婚指輪を入れて焼くというしきたりもあり、切り分けた時指輪が当たった娘は、近いうちに結婚できると言われました。

さらに12月21日の聖トーマスの夜、未婚の娘は、3度聖トーマスの名を呼んで、窓辺に向くと、結婚相手の姿がみえると言われていました。また、正月明けの12夜は、一度だけ願い事がかなう日であったので、願をかける人が多かったのです。カーニヴァルの灰の水曜日の夜中、若者が11~12時に家を出て、村の娘に会うと未来の花嫁であれば、バラの花束を差し出してくれるともいわれていました。

次に、土着の民族的な祭りは、かつては、豊穣儀礼であったので、性にまつわる言い伝えも多く面白い。ドイツやポーランドの農耕儀礼のなかには、大地との結婚をシンボル化したものがあります。たとえば、春の種まきの儀礼として、女性が畑のなかを裸で走ったり、大地で男女が交合したりすることが、かつて実際に行われていたのです。これによって、豊かな実りを大地の神に願ったのです。柱という男性のシンボルを、大地という女性に立てる性的な春祭りでありました。またこの、5月祭には、「5月の女王」と「5月の王」のカップルが選ばれて、聖なる結婚が行われ、豊穣が祈願されています。さらには、ヨハネの火祭りには、不妊の女性が裸で火の回りで踊ると、子宝に恵まれると言われてきました。しかし、性を露骨に示すこのようなしきたりは、異教の残滓として教会から攻撃されたり、排除されたりして、次第に廃れるようになってきました。

 

スコットランドのイギリス分離独立住民投票が行われた文化や歴史の背景とは?

今、話題になっているスコットランドは、まさにケルト民族が住み着いてきた地域であり、今回のイギリスの独立分離の住民投票が2014年9月18日に行われた。その投票率は、98%で過去最高になり、428万人が投票した。その結果、反対派が50パーセントを上回り独立が否決されることになったが、今回で、よりスコットランドにかつてからある問題意識が表面化されたものであった。スコットランドの独立賛成派を率いるサモンド党首は、イギリスに残留してもスコットランドの権限が拡大されることを期待している。

そもそもスコットランドが独立を望む背景には、経済的な利権や歴史や文化などの要因が複雑に絡まっているもので、経済的な視点だけでなく、文化的な歴史を知らずして、この問題を全体的に知ることはできない。そこには、アングロサクソン民族とケルト民族の対立の文化・歴史がある。また、北アイルランドでは、カトリック教徒とプロテスタント教との対立の歴史がある。

実際には、日本人がおもっているような民族がまとまった1つの国とは、イメージが程遠いものである。現地の人にとっては、スコットランド地域とイングランド地域は、全く異質であり、文化も言語も全く違っていた歴史がある。スコットランド人やウェールズ人は、
イングリッシュと呼ばれることを非常に嫌う。明確なアイデンティティーの違いがあるのである。

我々が一般的に認識している「イギリス」の国の正式名称は、「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」」であり、イングランドというのは、その1地域にしか過ぎない。イングランド地域の住人をイングリッシュと呼び、その訳語がイギリス人である。本来ならば、スコットランド人やアイルランド人を含めるのであれば、「ブリティッシュ」英国人である必要がある。

ではどうして、イギリス人とスコットランド人との間に、分離が起きて、確執が生じたのだろうか?それは、そもそも文化も言語も全く違っているからで、お互いを外国人と思えると行ってもいいぐらいなのである。
「イギリス人」の歴史やルーツとしては、彼らは、アングロサクソンと呼ばれ、5世紀ごろから、数次にわたって、ヨーロッパ大陸北部から渡来してきた人たちの子孫であり、低地ドイツ語から派生したサクソン語を話し、このサクソン語に、ラテン語のノルマン・フレンチが混ざって、1106年に現在のフランス西北部からノルマン人が侵攻してきて征服王朝を立てたのだが、その時、英語が完成されたのである。

これに対して、「スコットランド人」「ウェールズ人」の大半と「アイルランド人」は、紀元前7世紀に渡米したとされるケルト民族の子孫である。つまり、紀元前からケルト人の土地であったブリテン島に、5世紀になって、アングロサクソン族が侵攻してきて、西武の中心地、すなわちイングランドを征服してしまったので、やむを得ず、ケルト人たちは、西部のウェールズやイングランドの北部辺境に追いやられてしまったという歴史がある。これは、ケルト民族人にとっては、イギリス人はケルト民族の土地を奪った、侵略者とも言えるのである。日本でわかりやすい例として、アイヌモシリと呼ばれていた土地に、南方から倭人が渡ってきて「北海道」にしてしまったようなものである。

ブリテン島においては、アングロサクソンの支配的立場が確立し、その民族的特徴が白い肌、長身、青い目というのが「イギリス人」の典型的なイメージであり、「ケルト民族」の特徴と言えば、アングロサクソンよりも小柄で、髪や目の色が濃いとされている。

ケルトの原点としては、1神教ではなく、森には妖精が住み、動物には、みな霊が宿り、生命の転生を繰り返すと信じられていた。原始仏教のようであり、日本古来の宗教感と似ている。宮崎駿の「もののけ姫」の世界がまるでケルト民族の原点を表現しているように見える。文字を持たない文化だったため、謎が多いが、ヨーロッパ全土に大きく影響をあたえているのは間違いがない。